『富士山さんは思春期』は面白い。
いや随分前から話題になってたし読んではいたのだが、作者がオジロマコト先生なのだ。
ヤンマガ時代に唖然とさせられ裏切られた気持ちになったので、どうにも信用というか面白いと言う事に抵抗があった。
しかし、やはり面白い。信用していいんですよね?(切実)
伸長さカップルの青春
『富士山さんは思春期』はいわゆる身長差カップルの話である。
女の子が大きくて男の子が小さい。有名どころだと『かぼちゃワイン』や『ラブコン』を思い出すけど、あれエルも小泉も170センチぐらいで男がチビだったからね。
そこいくと富士山さんは超ド級の大きさであるといえる。
富士山さん
でかーい!
富士山さんの身長は181センチである。対して上場(かんば)くんは身長160センチ。中学2年生では平均的な身長のようだ。主人公の上場が悪ふざけで学校のマドンナの着替えを覗こうとし、偶然富士山さんの着替えを見てしまう。その胸の大迫力に圧巻されてしまう。
そして着替えを覗いてから、富士山さんを強く意識するようになり、そのまま告白して付き合うようになる。惚れた理由が胸である。それでいいのだ。まったくもって現実的である。思春期真っ盛りの中学生なんてそんなもんでしょう。
「恋愛感情≒性的欲求」という単純過ぎるもの。そこから恋心を育む様子がね。いいんだ。これはファンタジーな恋愛じゃなく等身大な思春期の物語である。
特徴的なのは、恋愛漫画なのに心理描写の少なさであろう。
ラブコメのキモともいえる心理描写でキュンキュンさせる事を殆どしない。富士山さんは何を思っているのか考えているのかを読む事はできない。だけど、富士山さんの言葉や仕草や顔色で、それこそ息遣いから脈拍まで手に取るように見える。読むのでなく見るのである。
もうね、富士山さんの一挙一動にニヤニヤするどころか悶えるレベルである。富士山さんは可愛すぎる。
富士山さんは可愛すぎる
仕草や行動で「好き」を語る富士山さんの破壊力よ。
その仕草や行動を綿密に丁寧に描くから読者は何を考えているか分かるっちゃ分かる。でもやっぱりそこは想像するしかない。完全に読み手の解釈に委ねられている。
富士山さんを純粋で可愛いとも思えるし、大きいと言われるのを本当は傷ついている繊細な子とも思えるし、切羽詰まって混乱する痛い子とも取れるし、読み様によっては言葉少な目で主人公を惑わす奇矯な子とも思える。かなり、面白い「読み」と「解釈」が出来る。人によって「富士山さん像」がバラけると思う。
またサービスシーンが夢溢れるというより、現実的なスケベな感じなのも好き。思春期特有のスケベな目線なのである。6巻では1巻では着られなかった浴衣姿を惜しげも無く披露するけど、その浴衣の着崩れっぷりはグッとくるね。
グッとくる
うむ。
エッチというよりスケベって感じだよね。この手の思春期のスケベ目線がコマのカメラアングルで見事に写されるものですから、オジロマコト先生は中学生男子かと本気で疑いたくなる。30越えたおっさんの僕も思春期アイを蘇らせちゃったじゃないの。
なにより、この2人の恋愛模様よ。
もうおっさんの私には高校生はファンタジーであり、中学生なんて銀河の果てである。なのに『富士山さんは思春期』の凄いところは、完全に自己投影できてしまう事である。トレースオンできちゃったよ!まるで俺の中学時代の思い出を上書き保存するかのような錯覚をしちゃうよ。つまり、ありそうなリアル感が半端ないのである。
上場も富士山さんもとことんリアルでいそうで、リアルで恋愛したらこうなるという説得力がある。不器用で未熟な2人の恋模様が、すっげぇ破壊力を生み出しているし、めちゃんこ投影できてしまう。あれ?俺は上場?あの時、好きだったあの子は富士山さん?こんなに大きかったっけ?そんな幻覚を見てしまう。鳳凰幻魔拳を食らっていたのか俺は…。
ラブコメの体裁でいて、ラブコメのような夢に溢れるわけでないリアルな設定と描写。これは等身大の思春期であり、不器用な甘酸っぱい存在しなかった青春を新たに上書き保存してくれる。富士山さんは、181センチの長身のという現実的でない女の子でありながら、ものすごくリアルに現実にいそうな女の子を描く。この構成の妙は舌を唸らされる。
まあ、何が言いたいかっていえばですね。
照れる富士山さん
富士山さん可愛すぎー!!
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