すごい傑作だ…。
『銀河の死なない子供たちへ』(施川ユウキ)読了。
読み終わった後にドッカーンとくる感情はちょっと言葉にできませんな。
とうに人類が滅亡した星で、
ラップを口ずさむのが大好きな天真爛漫な姉・πと、
いつも読書をしている内向的な弟・マッキは、
永遠の命による終わらない日々を過ごしていた。そんなある日、愛すべきものの終わりに直面した二人は……。
「手塚治虫文化賞」受賞作家が挑む、
不死の子供たちの果てしない日常と、
途方もない探求の旅――。
<試し読みできます>
『銀河の死なない子供たちへ』
ギャグ漫画家の施川ユウキ先生がはじめて挑んだストーリーものです(原作はあったけど)。いわゆる「ポストアポカリプス」モノの設定ですが「死生観」を明確なテーマにした傑作なり。
人類が滅んだ世界で、年を取らない不老不死の子供のπ(パイ)とマッキ。そして同じく死なないママ。決して死なない3人の家族が暮らしています。そして2人の子供が紆余曲折の末に明確な答えを出す。ぐう感動した。
「ゆるさ」が効きまくりなのも特徴的。絵柄もキャラも生活もどこか「ゆるい」。だからこそ、死なないことがどんだけ異常なのかを浮き彫りにする。ゆるい描写だからこそ、より恐怖とか不気味さのインパクトも光ります。
π(パイ)
パイ
「1万年前、私はこの未来を見ている」「1万年後も私はきっと同じ星空を見ている」という出だしで始まり、死なない少女パイはなんのかんので毎日を楽しく過ごしている。
ひたらす円周率を書いたり、ラップをしたり、空をずーっと見つめていたり、カニを潰してみたり、クジラに食われたり…。不死ゆえに時間をかけて色々と過ごす。飽きたら違うことをする。「たのしい」と笑顔だった毎日ですが、ペットを飼うことで激変します。
子犬のももちゃんと楽しく過ごして初めて触れた大切なものの「死」に直面。そこからパイは明らかに変わります。号泣して「たのしい」って言ってた日常だけでないない、自分が死なない異常性。首を吊ってみたり、「死ぬ」ってどんなことなのかと疑問を持つ。もちろん死にたくても死ねません。
みんな(死んだ生物)どこへ行ったんだろう?
どうして僕らはそこへ行けないんだろう?
マッキの疑問。
「死ぬことについて」知りたいと思うパイとマッキ。
死=星になる
「パイ編」で特に印象的だったのはパイが手を伸ばすシーンでしょう。毎日を楽しく過ごしてた時から、「死ぬこと」について気になり、ある種の憧れ(?)を持った彼女は星へ向けて何度も手を伸ばすのは胸が熱くなる。
美しくてとても手が届かないや
ママから聞いたという「生き物は死んだら星になるって」という言葉。
美しくて手を伸ばしても「届かないや」って言葉は胸に染みわたる。
パイは初期から星に手を伸ばしてた。ペットの死を目の当たりにする前から、毎日を楽しいっていってた頃から、星へ手を伸ばす描写があった。実はずーっと前から星(死ぬこと)に行きたかったのではないかとすら思える。
ゆえに、彼女が取ったラストの選択は納得できるし、とても感動的なのです。パイがどうなったのかは分からないが、下巻のラストを読んだ後に上巻の「パイ編」を読み返すと、思わず涙がこぼれる。彼女はいつだって星を見てた。手を伸ばしてた。
パイ達は何をしたらいいの?何をしたらいいの?どこへ行ったらいいの?
パイはいつだって星を見てたんだから!
パイはラストまで読み終わった後に、最初から読み返すと「あー…」って妙に納得してしまう描写が多い。彼女に関しては、読み始めてすぐ違和感を感じたし、読み進めるにしたがって「ざわざわ」が増していった。物語が決定的なところで胸騒ぎが本物だったことを思い知った。
それでも、単純に「死にたかった」ではない。未来を見ていた。死ぬことって何だろうか。「ミライ」と「ミイラ」は一文字違いの紙一重なのは原点『火の鳥 未来編』のテーマでもあった。パイは希望と夢が満載だったな。
(※ここからややネタバレ風味)
ミラ
ミラ
不老不死の子供パイ&マッキ。
ペットを飼ってみたりと「生物の死」について色々あった後に、急転直下の展開を迎えます。女性の人間が不時着して、赤ん坊を残して息絶えます。赤ん坊の名前は「ミラ」。パイとマッキはミラを育てることに…。
パイ&マッキは、義父母(育たない永久の子供)であるものの、どんどん育っていく普通の人間のミラ。この漫画のテーマをより浮き彫りにさせました。心温まるエピソードとマジで泣かせにくるコンボにやられたわ…。
不老不死の3人と、地球に何があったのか、人類はどうしたのか…といった確信的なことが判明するジャットコースターのような展開。「ミラ編」は、世界観の設定やそれぞれの正体が判明し「まじかよ!」ってビックリと「なるほどな!」って納得が満載。
自分だけが成長し変化するミラ視点のエピソードは胸に刺さりまくる。
作中唯一のただの人間。年齢を重ねる彼女は「死にたくない」と強く思い焦がれるのでした。
嫌だ…死にたくない
ミラは「死にたくない」と逡巡する。
そんな彼女の顛末にも号泣するし、なぜその選択をしたとも思う。でも、パイは「とっても勇気があるね」と強がって笑顔で述べてた。だから、パイがいなきゃミラの顛末はあり得なかっただろうし、ミラがいなきゃパイの顛末もあり得なかったのだろう。
人は一人でなく誰かの影響を受けるってのも最も痛烈に感動的に描いたのがパイとミラだったのかもしれない。『銀河の死なない子供たちへ』は死生観だけでなく人生観だよ。うん。だからこそ、マッキが…なぁ…。
マッキ
火の鳥 未来編
この漫画を読む上で手塚治虫先生の『火の鳥 未来編』は比較対象として避けては通れないでしょう。そもそも、作者も初期にマッキに漫画を読ませることで、原点で下地であるとハッキリ明示してます。
むしろ、施川ユウキ先生が調理した、こういう過程とそれゆえの結末にしたニューバージョン『火の鳥 未来編』って側面もあるぐらいです。若い人も『火の鳥』シリーズは是非読んで欲しい作品でありんす。
人類の最も過去の話(黎明編)、最も未来の話(未来編)、次に過去の話(ヤマト編)、次に未来の話(宇宙編)…と、一番遠い過去と未来からはじまり、永遠の命を持つ火の鳥の視点でどんどん現代軸に寄っていって今になる手塚治虫最高傑作です。
で、『火の鳥 未来編』はこのシリーズで最も人類の未来のエピソードです。テーマとしては、人は愚かだーとか、科学発展で汚染だーとかってものの、『銀河の死なない子供たちへ』と同じものが根底があります。「最後の人類」である。
同時にマッキがした選択も『火の鳥 未来編』を読んだなら、「そりゃそれを選ぶわなぁ…」とめちゃくちゃ納得しちゃう。寂しいことは死ぬことより地獄なんやで!
孤独はヤベーんだわ
死にたくても死ねない主人公
『火の鳥 未来編』は主人公の山之辺が不老不死となり最後の人類となる。なにをどうやっても死ねないのでそのうちかーずのように考えるのを止めてしまい、概念というか神様になってしまう。火の鳥へゴーダイブです。
もうひとりの生き残りだった博士は死が迫って宇宙へ旅立った。それを見送った。博士は死を受け入れて地球の周りを永遠に回る衛星ロケットの中で死後も地球の周りをまわって見守ってるぞいってのが出した結論なり。
博士の死後も見守ってるぞって出した「未来」への打ち上げと、今作でミラの顛末は色々と「ウヴァーウヴァバー」ってなるわな。同じ人類の「未来へ向かった」のはずなですが、見据える意味合いはまったくの別物。
で、不老不死の山之辺くんはひたすら悲しかった。何度も願った。話し相手が欲しいと。それは「孤独」です。話し相手もいない、たったひとりの世界はかくも空しいのだ。
最後の人・山之辺
『火の鳥 未来編』はシリーズの中でも傑作でしょう。それでも思うのですよ。もし博士は見守るでなく、もっと前に前向きに打ち上げたられたらと。山之辺に話し相手がいたらどうだったのかと。そうならずに宇宙は、星の生命は続いた…。しかし、そんな「if」があったとしたどうだったか。
星の螺旋
『銀河の死なない子供たちへ』で特徴的なのは空を見上げるパイとマッキ。星が螺旋してグルグル回ってる背景(正確には地球がまわってるのでしょうが)。この空を見れるのはパイとマッキの2人だけ。ミラもママも見れないパイとマッキの姉弟だけが見れる夜空です。
同じ空を見てたのに、星は死ぬことであり、グルグル回ってるものに憧れを持っていたのに、パイの出した結論とマッキの出した結論はまったくの別でした。どちらの答えが正解とも描かれてないので、色々と勘がせさせられます。
でも一つ分かる。『銀河の死なない子供たちへ』はこれ単体でも最高傑作ですけど、『火の鳥 未来編』の一番遠い未来で出された漫画の神様のアンサーに「これは例えば、そんなメルヘン…」ってのを出してくれた(ような気がする)。
未来へ…
ミライへ
極論を言えば『銀河の死なない子供たちへ』も『火の鳥 未来編』も同じ「より未来へ…」であるが、アプローチも違ってるし、見据える人の「未来」もまったくの別です。ただ、すごいすごい作品だったな…と泣きました。
死を受け入れて旅立つもの。でも目的は全然別。
不老不死ゆえの孤独。もし話し相手がいたなら。
どっちがどうとかでなく『火の鳥 未来編』があってこそ『銀河の死なない子供たちへ』があるんだろうし、若い人の是非両方読んで欲しい。「死生観」としても「子供たちの成長」としても「家族モノ」とにかく大傑作だ。
『銀河の死なない子供たちへ』は超傑作!おすすめ!まる。
コメント
いつも私の知らない本を紹介してくれてありがとう!
ヤマカムさんの勧めてくれた本は殆ど読んでます!面白い!
×聡明編 → ○黎明編
ですな。
まだこの作品を読んでいないので断言はできないですが、ディストピアではなくポストアポカリプスだと思います。