703話「右目」
潰れる前に左目で見たのが銀さんの泣き顔。復活して最初に見たのがまた子の泣き顔。どちらも絶望的状況で悲しくて泣いてるものでした。人の泣き顔を雨って例えて、だから「雨」は嫌いだった高杉。
息絶える直前に見たのは銀さんのニヒルな笑顔で晴れ出逢ったが、息絶えた後に銀さんが泣いてしまって涙を高杉の死に顔にこぼしたのがなんともいえません。
続・『銀魂』最終回
高杉の死の直前の右目で笑顔を見せてたけどさ、息絶えた後に泣いて涙を流してしまっては「雨」が継続じゃないか。もう雨はごめんだ…って高杉の心情的にノーでしょう。モチのロンでこれはこれで美談ではあるけどね。
例え、絶命して意識がなくても「晴れ」から「雨」になれば高杉は浮かばれませんよ。だからこそなのでしょうか。最終回にまた子同様に読者も号泣してしまうってもの。
高杉死すとも高杉死なず
最終回の謎の赤ん坊
もう虚が甦る可能性は100%ない。
そう断言されている中で、最終回に謎の赤ん坊が発見されます。
この辺は解釈はもう読者にお任せしますよってことなのでしょう。虚の生まれ変わりは万に一つもないそうですからね。素直に読めば、虚が甦ることないなら、これは最期に虚に取りつかれた高杉が生まれ変わったと見るべきなのかな。
銀魂は劇場版天地無用真夏のイブENDかなー。はらたいらさん3000点!
— 山田 (@yamakamu) 2018年9月2日
ちなみにこの顛末は予想していた(ドヤァ)。
端的に説明すれば「天地無用 真夏のイブ」は生まれ変わって赤ん坊からやり直そうENDで、私は松陽の「救い」にこれ使うのかなって思ってたけど、こいつは良い意味で予想を裏切ってくれた。まさか、松陽でなく高杉の「救い」としてとは…。
高杉は赤ん坊として生まれ変われた…それはモノローグ的に松陽先生の「師が弟子を護ることを奇跡と言わない」「それは当然のことなんだって」通りなのでしょう。
雨はまだ嫌いですか?
息絶えた高杉は、奇跡でなく当然で必然として赤ん坊として生まれ変わったのです。泣けましたなぁ。これは奇跡なんてチャチなもんじゃ断じてねぇ…。もっと恐ろしい運命というか必然を味わったぜ!
もう雨はごめんだ
「雨」を「涙」と例える高杉。
絶望して悲しくなって涙を流されるから「ごめん」なんでしょう。
高杉の瞳に映ったのはそういったネガティブな意味の涙だかたね。
息絶えた、最期の最期に銀さんは笑って見せたけど、死後に涙をこぼしてたからね。高杉の顔にはいつも涙ですよ。瞳にはいつも涙ですよ。そりゃもう「ごめんだ」って心境になるでしょう。
だ・け・ど!
仮にであるが、高杉が生まれ変わって赤ん坊となってまた子に発見された最終回。やっぱり苦手の「雨」である「涙」を浴びるわけであるが…、その雨は高杉の嫌いな雨ではなかったよなぁと。
雨はまだ降ってるようです
(おそらく)赤ん坊に生まれかわっただろう高杉。それを見つけて抱きしめて号泣するまた子に胸が熱くなったんだな。ポエマー高杉は人の「涙」を「雨」と比喩して、それが嫌だったじゃないですか。
なぜなら高杉が見た「雨(涙)」は悲しい時にこそ流すものだったからなり。精一杯の強がりで笑った見せた銀さんも死後に悲し涙をこぼしてたし。そんな高杉が、生まれ変わって(?)見た苦手だった涙は意味合いが180度違うからね。
これは嬉し涙ってやつですよ!
前世(?)の記憶があるかどうかも知らんが、NEW高杉に問い詰めたい。やっぱり雨は嫌いですか?と。悲し涙しか知らなかったやつが雨はごめんってなってて、銀さんの笑顔で逝けたけど、もっとハッピーな顛末だった(と思う)。
この赤ん坊の高須が雨(涙)が好きかもな。
人は悲しい時だけでなく、嬉しい時にも泣けるのだ。
松陽は救われたのだろうか
救いって何だ?
終盤、散々迷ってた銀さん。
大好きな松陽先生。倒すべき虚なのにイコールで松陽というもの。最初に虚を倒した2年前の最後っ屁で「君は松陽を救えなかった」と言われていました。結局のところ、銀さんの松陽に対する「救い」って何なんだと。それが最期のテーマでもあった。
いろいろと彷徨い自問自答した末に、最後に江戸に戻ってきて、紆余曲折の最終決戦をしました。銀さんが松陽を救えたかどうかは分からんが、ずっと見せたかったもの、言いたかったことがあったと報告していました。
俺…コイツらと万事屋やってんだ
積もる話も報告した事も言いたい事も沢山あったはず。でも、たった一言を伝えて見せただけなのでした。銀さんは新八と神楽の3人で万事屋やってるんだと述べ、3人が横並びの姿を見せて松陽と今生の別れをするのです。
でも松陽先生にはすべて伝わっていた(ように見える)のがめちゃくそ泣ける。「あの日、悲しい瞳をしていた小さな鬼」を思い出して、「坂田銀時」と書いて「ひと」とヨマセ、鬼が人間になれたんだと耽って逝くのでした。
万事屋、坂田銀時。
立派に…なった…な…。
今は新八と神楽と万事屋やってんだで全てが伝わったかのごとく。これが松陽の救いなのか。ラストでおそらく息絶えたと思われる松陽でも、心の底から「よかったな」と思いましたね。
「しかと見たよ」と身体がバラバラになりながら消える先生はただただ安らかでした。これまで一緒に「虚」が居たからこそ、切なさや悲しさを含んでた松陽の笑顔と違って心から満足そうに笑顔で逝ったんだもん。万事屋は松陽が安らかに逝けるためだったのかもしれんな。感動!
まだ終わらんのだ(多分)
万事屋だ
最終回のエピローグ。
江戸の時代が終わり東京となっていた未来に目覚めるはたまちゃん。からくり故に、過ぎ去り時とを観測するキャラなのかと思いきや…?銀さんたちが生きてた時代のはるか未来と思われるのに…?
時空を突き破って銀さん達が馳せ参じるのです。
今は西暦何年だ?そんなん関係ねぇと。
いつも一緒にいるから。そう信じてくれるなら、僕らは世界も時代もコマもブチ破ってきっとアナタの涙を拭いにいくから
たまちゃんの立ち位置は僕ら読者なのだろう。
涙をぬぐう必要は無いと力強く述べる銀さんであった。そう、ラストははるか未来かもしれない。江戸でなく東京になってるかもしれない。でも、居るんですよ万事屋はそこに!
そういえば、空知先生は漫画家になった経緯をコミック14巻で以下のようにコメントしていました。
映画なり漫画なりアニメなり見てると、必ず終わりがあるじゃないですか。散々感情移入してたのに急に自分だけポーンっと外にとり残される。あの、さびしいカンジがすごく嫌で「待ってくれ、俺も連れてってくれ、あっちの世界に」。 もうこれだけきいてると完全にイっちゃってる人ですがそういうカンジになるんです僕は。特にラピュタとか見てるとかなりあぶない。終わんじゃねェェ金曜ロードショー!とTVつき破って入って行きたくなる。で、そういうのはスゴク苦しいので、どうするかとなったらもう自分でつくるしかないなという、とり残されるくらいならとり残す側にまわろうとこっちの世界に来ました。
物語が終わる時にの客が感じる取り残される感じ。それが嫌だと述べてた空知先生です。だからこそ、銀魂は画面で読者の方へ向かってきてるのだろう。取り残されたたまちゃん(=読者)に会いに来てくれたのだろう。涙は拭う必要ない。
だって、銀さんたちはずっと一緒だもんね!
1話のサブタイ「天然パーマに悪い奴はいない」からの最終話「天然パーマにロクな奴はいない」も見事だ。銀さんは「悪い奴はいない」から「ロクな奴はいない」になったのだ。それは退化か?違う。ロクでもねぇけど最高だったね。すべてブチ破って来てくれる。
『銀魂』はここで終わるが、読者と一緒に居続けるんです。そんなラストでした。ぼくらを連れて行ってくれた銀魂ワールドから、唐突にサヨナラなんかしない。まだまだ一緒だぞ。取り残さず!
だから僕ら読者の方へ向かって来るラストだったのでしょう。
万事屋は永久に不滅です!まる。
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コメント
俺は好きだけど銀魂打ち切られちゃったなーって本気で勘違いしてたら普通にジャンプに載っててびっくりしてから10年以上ずいぶん経ったなー(笑)
いやほんとお空知先生お疲れ様でした
不定期で良いから読切方式で見たいな
長期連載でマンネリした所はあったけど、上手に完結させたなと思います。
単行本の質問コーナが一番好きでした小並感
連載当初はそれほど期待されてなかったんだよな。確か最初に巻頭カラーもらった時は、煽り文が「ジャンプが賭けに出た!」だったのを覚えている。
ダラダラせずにスッキリ終わらせて欲しかったもんだが、しっかり終わらせる力量が作者にも編集にも無かったんだと思っている。
真選組というか土方と沖田が出るまでは打ち切り真っしぐらコースだった。
後半は松陽を出しちゃったのがきれいに終われなくなった原因かなぁ。
しっかり終わった作品に対し何を言っているのか
終わる終わる詐欺とか最終章すげえ長かったりで正直ダレたんだけど
でも終わってしまうとめっちゃ寂しくて仕方ない
後半はシリアスが長すぎて…。
作者は本当はシリアスやりたかったんだろうけど、銀魂に期待してるのはギャグなんだよねぇやっぱ。
ところで実写版「銀魂3」は今年はやらないのかな?
それとも冬向きの話だから冬公開とか?
終わる終わる詐欺にうんざりした作品だけど最終回自体は素晴らしかったと思う
自分が漫画家になった理由を捨てずにきちんと持ち続けた最後には感動した