映画『ドラゴンボールZ 復活のF』
観に行ってきましわー。
やはりドラゴンボール世代直撃の私は、血沸き肉踊るのです。前作『神と神』もそうですけど、鳥山明先生自ら脚本を書いた『復活のF』はDBの正史と位置づけて良いでしょう。これぞドラゴンボールです。まさに鳥山明ワールドを堪能したって感じです。事前に「銀河パトロール ジャコ」は読んでおいたほうがいい。
前作『神と神』は、あぁ鳥山明先生の描きたかったものの真髄がこの作品には詰まっているなと思ったものです。ビルス様は、破壊神であったけど決して悪ではありませんでした。『ジャコ』のエントリーの焼き直しですけど、三代目担当の武田氏は以下のように述べていた。
DB3代目編集武田氏
「鳥山先生は敵役はエライ!って言ってるんですよ。要するに悟空側は寄ってたかってなんですよ。でも敵はたった一人で戦っている」
鳥山明先生は悪役をあんまり描きたくない。敵役はエライ!悟空達はよってたかって多数で1人をボコボコにするしね。これを踏まえて、悪のカリスマであるフリーザ様を今の鳥山明先生がどう書いたか。鳥山明先生の書きたかった悪役が今作のフリーザ様ではないか、と。まさに、鳥山明イズムが拘りがあったと思う。
注意、以下壮絶ネタバレ有り。
劇場版「復活のF」を観た後で自己責任でどうぞ。
素晴らしい映画だった
あらすじをざっくり説明すると、フリーザ軍の残党がドラゴンボールで「フリーザ様を蘇らせるんだー!」と願いを叶えて帝王復活。
しかし今更フリーザが復活したところで戦闘能力のインフレしたサイヤ人に対抗できるのか?そこは(元)宇宙最強生物のフリーザ様。
超天才であるが故に、今まで修行なんてした事がなかった。
「どうなるんでしょうかねえ…このわたしがトレーニングをして存在能力のすべてを引き出せば」と、生まれながら超天才のフリーザ様は4ヶ月修行しただけで超サイヤ人ゴッドの領域へ到達しちゃいました。さあ復讐を開始しましょう!
フリーザ様はトレーニングの末、最終形態を越えるさらなる進化をしたのである。これがフリーザ様の最終形態のさらに先である。
ゴールデンフリーザ様
うわっ!かっちょ悪っ!
予告編で黄金の金ピカのフリーザ様を見て、お世辞にもかっこ良く見えなかった。なんだこのケバケバしさは、と。中国の劣化コピー商品ですか?でも、劇場でゴールデンフリーザ様を見たら、その考えは遥か彼方へ消えました。めちゃんこカッコイイ!
やはりフリーザ様はフリーザ様だな、うん。
『復活のF』は、悪のカリスマ、帝王フリーザ様の美学がこれでもかと凝縮されていましたね。まず、バトル展開は、ナメック星のフリーザ戦を踏襲する感じでノスタルジーがある戦闘でした。ゴールデンフリーザ様に対して、孫悟空は超サイヤ人ゴッド超サイヤ人という青い超サイヤ人になる。
最初はフリーザ様が押してたけど途中で様子がおかしくなる。4ヶ月の修行で進化したゴールデンフリーザには弱点があったのだ。復讐心にかられゴールデンフリーザが完成して直ぐに地球に来てしまったので、体力の消耗が激しく身体が慣れていない。悟空にそれを指摘され「もう帰れ」「必ずまた闘う」と言われても、聞く耳などない。もしフリーザ様が後1ヶ月修行したら…?紛れも無く宇宙一になったかもしれない。
でも、フリーザ様の根源は孫悟空のような「強くなりたい」ではない。孫悟空は「強くなりたい」の一言に集約するようにキャラクターを作っていったという。何の為に戦うかといえば世界平和の為でなく強くなりたいから戦う。フリーザ様は「勝ちたい」だけである。それはどんな手を使ってでも。
昔、『ラッキーマン』という漫画で勝利マンというどんな手を使っても勝てばいいというキャラがいたが、その極悪バージョンがフリーザ様であろう。
フリーザ様はなんとしても勝つ
原作でも、死ぬ寸前で命乞いをして気を与えてもらい、貰ったパワーで脱出するでなく飛び立つ孫悟空の後ろから不意打ちをかますのであった。
汚い!さすがフリーザ様は汚い。悟空に「バカヤローッ!!」と言われていたが、それがフリーザ様の美学である。勝ちたいのだ。
『復活のF』でもフリーザ様は美学を貫き通すというか磨きがかかってる。最期に勝てばいいのである。鳥山明先生はあんまり悪役を描きたくない。Z戦士がよってたかってなのに、敵側はたった1人で戦うから。『復活のF』では逆でした。これぞ憎むべき悪役って感じ。悟空はたった1人で戦うけど、フリーザ様は仲間を忍ばせ悟空の「甘さ」「油断」に付け込む。汚い!さすがフリーザ様汚いよ!
かくて、フリーザ様は孫悟空に勝利した。
悟空はたった1人で戦う相手に敬意というか、本当は1人で正々堂々と戦って勝利したかったという不服があったりしたじゃないですか。
おめえはすげえよ、よく頑張った。たったひとりで…
でも、フリーザ様にはそんなのないからね。最終的にどんな手を使っても勝てばいい。汚い手で悟空を倒したんだけど、1人で倒したかったとかそういう拘りはゼロ。不服もない。汚い手で悟空を倒してめちゃんこ嬉しそうでしたからね。
「どんな気分ですか?」「闘いには勝ったのに、勝負で負けてしまったんですよ~」「夢にまで見た瞬間がやっときました。ほーっほっほっ!」と、満面の笑顔ではしゃぐフリーザ様の喜びようときたらね。武道家とか戦う楽しみとか微塵もない。勝ちゃいいんです。やっぱフリーザ様は悪っすわ。
やったね!フリーザ様大勝利!
まあ、フリーザ様は孫悟空には勝ったけど誤算があった。ベジータの存在である。ベジータも悟空と同じように、青い超サイヤ人になれたのである。
スーパーサイヤ人ゴッドスーパーサイヤ人
これは嬉しかったですね原作ではベジータは超サイヤ人3にもなれなかったし、悟空どころか悟飯やゴテンクスにも置いていかれてたから。最後は戦力になってなかったし。
今作のベジータは別物でした。ベジータも超サイヤ人神超サイヤ人、青い超サイヤ人になり、悟空に変わってフリーザに勝利してしまった。なんだこの展開は…!?悟空が敗れてベジータが勝っちゃったんだけど。
劇場で買える「ドラゴンボールZ新聞」に初代担当の鳥嶋氏のインタビューがあったんですけど、そこで以下のような裏話がありました。
今回実は鳥山さんが非常に気を使っているキャラクターがあるんです。ベジータに非常に気を使っているんですね。「ベジータがいつも割を食ってかわいそうだ」とシナリオを書くとき言い出して。
確かにベジータはいつも割を食ってるけどさ。鳥山明先生はベジータに気を使う前にもうちょっとさヤムチャに気を使ってあげるべきじゃないですか。
今作なんてフリーザ軍の雑兵が相手なので地球人のZ戦士でも普通に無双できるレベルですからね。戦闘能力1000もないような有象無象どもですよ。ハッキリ言ってこの闘いぐらいしかヤムチャはついていけない…。なのにさ、ヤムチャは天津飯に置去りにされてしまいました。何がヤムチャは置いてきただ!酷すぎる。ヤムチャは活躍しちゃいけないのか!
今作こそ「オレにやらせてくれ」「ここらでお遊びはいい加減にしろって所を見せてやりたい」と繰気弾で無双するかと思ったら。相手が雑魚なら出てこないし。
クリリンが気円斬で、天津飯が気功砲で雑魚共をバッタバタ倒す活躍をするのに対して、置去りにされたヤムチャの扱いよ。ヤムチャでお遊びはいい加減にしろって所を見せてくれました。まあ、ヤムチャに活躍されても反応に困るけどね。さすが鳥山明先生の脚本だね。ヤムチャは活躍しちゃいけないというファン心理を巧みに汲み取ってる。
話が脱線してしまいました。
えっと、そうそうベジータがフリーザを倒しちゃったんですよ。私も劇場で「え?これでいいの?」とポカーンとしちゃいました。孫悟空が敗れてベジータが勝つという破格の扱い。でも、悪のカリスマ帝王フリーザ様は己の美学を最後まで貫いたのである。
フリーザ様の美学
「言っておくが、オレは貴様なんかに殺されるぐらいなら、自らの死を選ぶぞ…」
ナメック星で超サイヤ人に覚醒した悟空に手も足も出ずにナメック星ごと消し去ろうとしたフリーザ様の図。まさにこれ。誰かに殺られるのは死んでもゴメンである。これぞフリーザ様の哲学であろう。
ベジータに勝てないと悟ったフリーザ様は、「悪・即・斬」の斎藤一もビックリの「悪・即・爆破」した。セルみたいに俺は自爆するぞとかヌルい時間的余裕は一切ない。躊躇もなければ、遠慮もない。即効で地球を木っ端微塵に爆破してしまった。作中でフリーザ様がどうなったかは描かれていないが、宇宙空間で生きられるからフリーザ様の勝ちだろう。ベジータの負けだ。なんという強さであろうか。
闘いで負けたが勝った。
フリーザ様まじ強いっすわ。
戦闘能力でなく、誰かに殺されたくない何としても勝ちたいって信念がヤバイ。汚い手を使おうが、地球ごと木っ端微塵にしようが、孫悟空とベジータに勝ったのだ。闘いでは負けたけど、勝負に勝ったフリーザ様に悪の生き様を見ました。惚れ惚れしましたね。劇場で「フリーザ様すげぇ…」って震えてしまいましたもん。
ラストはご都合主義でのハッピーエンドで賛否両論あるでしょう。ただ、これだけは忘れてはならない。フリーザ様は悟空とベジータに闘いでは敗れたが、どんな手を使おうが勝負には勝ったのだ。悪役の美学があったね。敵役は偉くなかった。汚かった。意地悪だった。それを踏まえて強かった。これが鳥山明先生の描きたかった悪役でしょうね。正真正銘の素晴らしき悪であった。
This is 鳥山明の悪!
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