「四月は君の嘘」2巻が発売されました。
前作「さよならフットボール」が清々しい眩しい青春と情熱を描き僕の心の琴線に触れまくったわけですけど、今作「四月は君の嘘」もやっぱり青春しちゃってるわけで、それがめちゃくちゃ面白いですね。
1巻オビのストーリー説明は以下の通り。
母の死をきっかけにピアノを弾かなくなった、元・天才少年有馬公生。目標もなく過ごす彼の日常は、モノトーンのように色が無い…。だが、友人の付き添いで行ったデートが、少年の暗い運命を変える。性格最低、暴力上等、そして才能豊かなヴァイオリニスト…。少女・宮園かをりと出逢った日から、有馬公生
かつては天才少年といわれた公生。
母の死をきっかけにピアノを弾く事が出来なくなるものの、宮園かをりと出逢う事によってモノトーンだった色を取り戻していくというもので、そこには清々しい青春がキラキラと輝いているってもの。これがメチャクチャ良いんですよ!
公生は根暗で幼馴染の椿にも「目が光ってない」「輝いてないの、思春期なんだからピカーっと」と言われるぐらい根暗な少年でした。
「椿の目には、きっと風景がカラフルに見えてるんだろうな」
「僕とは違う」
恋にしろ青春にしろ思春期というのは、風景がカラフルに色付くらしい。
しかし、公生にはまったく理解できません。公生が見ていた背景の色はモノトーンの世界。
「僕には、モノトーンに見える」
「譜面の様に鍵盤の様に」
モノトーン
公生が見つめる空は、晴れてるのに薄暗く見えます。
モノトーンに見えると述べていた公生の言う通り、空は晴れてても薄暗く曇っているようなどんよりしたものでした。
そして宮園かをりと出逢った公生。
彼女は一転の曇りもないような、明るい天真爛漫な娘で何かが変わっていく感じが凄くゾクゾクさせられるってもの。特にかをりのバイオリンの演奏を聞いている時の公生は、いつかの少年時代を思い出すかのようなものでした。そしてモノトーンだった色がカラフルになるのです。
かをりに伴奏をお願いされ、目に光が射すようになるやり取りが鳥肌もの。
ピアノが弾けなくなったあの日、音が聞こえなくなったあの日、「僕は暗い海の底にいるように誰もいない」「僕は暗い海の底で、また一人ぼっちになる」と比喩していた公生に対して「私がいるじゃん」と言い放ったかをり。公生の目は見開き色を取り戻している感じに描いていました。
1巻ラストの自転車で走り出す屈指の胸熱シーン。
まさにこれず青春という感じで何か熱いものがこみ上げてきます。
そして、自転車からふと空を見上げた公生。
空を見て
「僕の住んでる街は―」
「カラフルに色付いている」
モノトーンに見えると言った時とは違い、空は快晴で青々と輝いていました。同じ晴れた空なのに一目瞭然の違い。この上手さは凄い。ぶっちゃけモノトーンの見える時には濃いトーンで空を描き、カラフルになった時は薄いトーンで空を描いたわけですけど。基本白黒で描かれる漫画で、カラフルに変わった景色を表現するのが超絶妙で、まるで虹色にカラフルに輝いているようでした。
「さよならフットボール」もサッカーがいかに楽しいかを上手く描いていた新川直司先生。絵が上手いとか台詞回しが上手いとかシナリオが上手いのもあるんですが表現がめちゃくちゃ上手い。
新川先生は表現がクソ凄い。
モノトーンとカラフルの空の対比同様に演奏シーンが鳥肌ものに上手い。2巻のキモは演奏シーンなんですけど、この描き方は息を飲んで鳥肌立てて震えるってもの。漫画で音を描くのは不可能ですが森川ジョージ先生は2巻のオビで「音が視える」と書いていました。実際には音は視えない手法を取ってますけど。
僕は音楽漫画には大きく分けて2つに分けられると思います。
1、「ピアノの森」的
2、「BECK」的
大きく分けてこの二種類。何が違うって音というか比喩を描くかどうか。音符、効果、擬音、リアクション…と様々な音楽の演奏シーンを表現がありますけど、それを視えるように描くかどうかでしょう。
「ピアノの森」的とは風が吹いてる、嵐がきた、優しい音…という観客の感想通りに音というか感想というか比喩をそのまま描いちゃう系です。実際に森が具現化したり、会場全体が水に包まれたり、竜巻が起こったり、ブリザードが吹いたりと、分かりやすく音楽を描くのが「ピアノの森」的な手法。最近なら「ましろのおと」がこれに該当するピアノの森的な手法ですね。
講談社 (2012-01-17)
「ましろのおと」もクソ熱い青春もので、超お勧め。
三味線を弾く力強さを表現する「音」を描くのがめちゃくちゃ上手く、音が視えます。というか実際に音を描いちゃってます。
音を描く
「風が駆け巡る」という表現同様に風を実際に描いたり、音が弾けるという表現同様に流星群を描き観客の目の前で実際に星が弾け飛んだり、演奏が変わった事を表現する「音が目の前で模様さ変わってく」と本当に背景の模様を描いて変化を見せたり…と、描けない「音」の感想とか比喩を描くピアノの森的な手法。
逆に「BECK」的とは客のリアクションと演奏者の力強さや圧巻ぶりだけで音楽を表現すること。比喩的な音は描かれません。「四月は君の嘘」はこちらに該当し、圧倒的な演奏者の力強さと観客の反応だけで音を表現しています。
音とか比喩を描かない
公生とかをりの演奏がいかに圧巻だったという演奏っぷりと観客の反応だけで、凄い演奏だと思わせてくれます。
これはどちらがいいかは一概には言えません。
「BECK」的な手法は、音楽を描かずに音が聞こえてくるようで凄いですけど、あくまで主人公サイドだけが圧倒的な場合には有効なわけで。演奏描写と観客のリアクションだけで。音とか比喩を描かずに音が視えて凄いですけど、ライバルというか他にも凄い演奏をする者がいた場合は何が違うんだとなってしまいます。
「ピアノの森」のように、他のライバル達が凄い演奏をした場合は「BECK」的な音とか比喩を描かず客のリアクションと演奏者描写だけの手法で違いを表わすのはやっぱ無理でしょう。
個人的な見解では「ピアノの森」的な音や比喩を描くのは、他にも凄い演奏者がいた場合の違いを表現するのに的確で、「BECK」的な手法は主人公サイドがいかに圧倒的だったかを表現するのに的確かなと思います。
そうなると「四月は君の嘘」の物語が進むにつれ、同じコンクールにライバルが現れるような展開があったら、「BECK」的な手法でどうやって違いを表現するのかという楽しみもあるわけですけどね。
しかし、表現の上手さは半端ない。
1巻ではピアノの音が聞こえなくなった公生は「暗い海の底にいるように何も聴こえない誰もいない」「僕は暗い海の底で、また一人ぼっちになる」と述べていたのに、2巻での演奏ではやっぱり弾けなくなったピアノの音を取り戻す描写が本当に胸熱すぎる。
君がいる
もう1人じゃないってか。
表現の上手さに圧巻ですけど、話の転がし方もめちゃくちゃ上手く、今後もの展開が楽しみで仕方がありません。超お勧め!
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