私達の恋の話をたくさんしよう!
( ;∀;)カンドウシタ!
『いなり、こんこん、恋いろは。』が10巻で堂々の完結です。
名作確定である。
くぅー!良い話だった。
大感動の大団円!
普通に泣いちゃったよ。
涙腺弱いのは自覚しているんですけど終盤の展開は私の目頭をクリティカルヒットするというもの。もう、ラブコメ展開的には9巻で決着ついてるので10巻は物語をどう絞めるかってのがポイントでした。これが良かったんだ。
何が良いって「転換」である
これは2つ挙げられる。
1つは「少女漫画」が「少年漫画」になったこと。
そも振り返ると『いなり、こんこん、恋いろは。』の初期は完全に少女漫画のテイストでしたからね。ヤングエース連載ですけど、やってる事は完全に少女漫画でした。
主人公のいなりが変身能力を駆使して恋やちょっとした事件などを色々と頑張るドタバタコメディでしたからね。明らかに『ひみつのアッコちゃん』『姫ちゃんのリボン』に続く系譜であった。
いなりが頑張る少女漫画のテイストで話を転がしていたんですけど、気づけば終盤は少年漫画のヒロインになっちゃいましたから。
どうみてもヒロインです。本当にありがとうございました。
いなりを助ける為に丹波橋くんは頑張る。
あれ、初期はいなりが攻略してた少女漫画の王子様だったのに、終盤は丹波橋くんが少年漫画の主人公のようになり、いなりを救い出す展開になっちゃったぞ。これが良い。
少女漫画的なテイストで始まり少年漫画のテイストに転換している。丹波橋くんは、まさに囚われのお姫さまを救い出す勇者である。この転換は素直に上手いし、終盤の話の転がし方には引き込まれるというもの。
2つ目は「恋愛漫画」で「恋」が「愛」になったこと。
愛だったんだよ!『いなり、こんこん、恋いろは。』は紛れも無く恋愛であった。
「恋愛」とは「恋」から「愛」ですよ。「恋」というのは下心であり「愛」というのは真心である。なぜかっつーと、「恋」という字は「心」が下にあって下心、「愛」という字は「心」が真ん中にあるから真心だからね。
いなりの行動にヤキモキというか自分勝手な娘だなと思った事もありました。ええ、確かにありました。特に初期ね。でも、それが「恋」である。下心で突っ走ったからね。逆に終盤は「愛」なんだ。真心を君になんだ。
愛なんだ
もうね、終盤の展開を最高と断ずるだけですよ。紛れも無く「恋」が「愛」になってるのだ。下心で始まったいなりの恋の物語は、真心の愛の物語になる。
終盤の2人のやり取りや呼び方が。これが自然と転換するものだからね。ラブコメ萌えによるニヤリング&ローリングで身悶え3回転半を記録するってものですよ。
ラストの2人の恋愛物語は神がかっていました。いなりの乙女っぷりは、神に最も近い可愛さである。ラストまで読んでいなりと丹波橋くんの恋愛の完結が素晴らしすぎる。くーっ!感無量である。
とはいえ、キモはやはりうか様であろう。
うか様
うん!
圧倒的な可愛さであった。いなりが最も神に近い可愛さならば、うか様は文字通り神の可愛さである。
神いわゆるGOD!さすが神様だぜ。うか様の可愛さレベルは格が違いすぎた。最も私の心の琴線を鷲掴みにしたのは乙女のうか様である。そして、うか様と燈日のカップルも素晴らしかったよね。
しかし、うか様と燈日の結末。
これは賛否両論あるのではないだろうか。
私は大いに肯定するけど。
うか様と燈日のカップルは所謂「人と人外」のカップルである。
これを真正面から描いたのが素晴らしい。
昔からある組み合わせですけど「人と人外」の最大の壁は寿命である。大抵は人間に比べて極端に時間が長いからね。
ドラクエ7のゼボットとエリーのようになっちゃうよ。「ぜぼっとキョウモウゴカナイ…。ナニモシャベラナイ…。」ですよ。だから、最良のハッピーエンドとは奇跡が起こって人間になるである。「人と人外」の組み合わせで今だけ幸せで終わるも有りっちゃ有りだが未来を考えちゃうとね。
んで、『いなり、こんこん、恋いろは。』は、そう持ってきたかって感じでした。奇跡って起こらないから奇跡って言うんですよ。それが賛否両論を生むと思うけど。最高でした。感動しました、泣きましたとも。というかね、僕の長年患っていた病気を克服してさえくれた。
ズバリ、重度の鍵っ子だった私は衝撃を受けたのだ。なんだろうかこの感覚は。「えいえんはあるよ、ここにあるよ」とか「それではボクの最後のお願いです。ボクのこと、ボクのこと忘れてください」がフラッシュバックしたのです。ラストの展開に飲み込まれるよ。感情が色々ともみくちゃにされ、あの胸がザワザワする感覚が蘇る。
作者が鍵ゲーをプレイしたかどうか知らんし、そもそもまったく関係ないでしょーけど、私は鍵の答え合わせをしてるような読了感があった。これは観鈴ちんシンドロームに十数年患ったおっさんの辿り着いた答え。
観鈴ちんシンドロームとは『Air』に打ちのめされた患者である。『Air』のラストがこれまた凄い展開で呆然としちゃって寝込んじゃったわけよ。当時大学生だったけど、引きこもりになる寸前まで心を貫かれた。これハッピーエンドなのかと思ったわけよ。
映画化された時に原作者のだーまえ氏に「AIRで一番伝えたかったことは何ですか?」というインタビューがあって以下のように答えたのである。
これはもう、プレイされたユーザーさんの胸の内にあるもの、それにさせて頂きたいです。
なんじゃそりゃー!
つまり、読者の解釈に任せるという事である。そして私はより一層観鈴ちんシンドロームを拗らせた。それは長い長い期間続きました。今日、解答というか光が見つかった。それが『いなり、こんこん、恋いろは。』のラスト。「もうゴールしていいよね?」のゴールの果てが見つかりました。
(以下、重要なネタバレします)
最高や
燈日が選んだのはうか様と同じ神になる事である。そして、燈日は人間世界では全てが無かった事になった。誰も覚えていない。
両親も妹のいなりも燈日は最初から居なかった事になる。これはちょっとモヤモヤするよね。しかも家の表札からも「とうか」の文字が消えたし。
でもね、ラストで、いなりの両親が男の子を授かり、すでに名前を決めていると言い…。
新しく生まれる男の子の名前は決めてる、その時の表札が…
消えた表札の「とうか」の文字にうっすらと、でも確かに「と」の文字が浮き上がってきている。ああ、新しく生まれる男の子の名前は「とうか」だろう。これは燈日が生まれ変わるという解釈も出来るね。今度は弟や!
とはいえ、燈日自身も忘れられてるとはいえちゃんと見守っていました。うか様と幸せそうにいなり達を見守っていました。もうね、普通に感無量というか泣きましたよ。
見守ってた
大感動!
『いなり、こんこん、恋いろは。』は素晴らしい最期だった。
最後のエピローグ含めてね。
それと同時に長年患っていた観鈴ちんシンドロームの治療もしてくれた。ああ、私は空の少女に十数年も囚われていたのが開放された。
きっと、観鈴ちんは生まれ変わっている。観鈴ちんは空の少女はカラスと一緒に晴子さんを見守っている。最後には、どうか…幸せな記憶を!
うむ、『いなり、こんこん、恋いろは。』傑作であった。
ありがとう、そして、ありがとう!
コメント
いまさら全巻読破しましたが、ものすごく心が透き通るよう終わり方で、感無量でした…。もう、なんか泣きたい…