作者の柳本光晴先生というのはTTTのミハルさんだとか(フランさん情報)。
僕も何冊か同人誌をもっているんですが、この方の描いたハルヒ漫画はそれはそれは頬をニヤニヤしたものです。
その後、コミティアで出してたオリジナル漫画もやっぱり身悶え悶絶の破壊力でした。
で、商業誌で単行本が出たのです。これは楽しみですね。
ほうほう、表紙の女の子は可愛いじゃないですか。
ニヤリング&ローリングで身悶え3回転半を記録する事は間違いありませんな。
あかん、今から頬が緩んでしまいます。
心の渇きを満たす甘さがつまっていることでしょう。
ドキドキしながら1ページ目をめくります。
「君の余命は早ければ半年、長くても1年持たないだろう…」
きたきた!ハートフルな展開が…って、ええぇっ!?
女の子が死ぬ話
まあ思いっきりタイトルからして「女の子が死ぬ話」という直球ストレートなんですけどね。
なにかウィットに富んだタイトルなのかと思ったらそんなことない。ど真ん中にズバッときた。中身もまったくもってその通りの内容なのです。凄いタイトルです。そして凄い漫画でもあった。
高校に入って、初めて出来た友達は、出会って数ヶ月で死にました――。
少女漫画のような青春に憧れる少女・千穂は高校入学初日に同じクラスの和哉・遥と知り合い、意気投合する。和哉への淡い恋心を抱きながら充実した高校生活を過ごす千穂。しかし、彼女は知らなかった。親友の遥が不治の病に冒されており、あと数ヶ月しか生きられないことを…。
このまんま。
ある種、読者は結末というかオチを知ってる中で周りの人は知らないっていう状況なのがね。
描かれる何でもない日常、時々の甘さが、僕の心の琴線に触れてきます。
こんな日常がね
できれば見たかった。
もっと日常を!もっとイチャコラを!
全7話の中で3話で遥は死を受け入れ4話で死んでしまいます。
人は必ず死にますけど、死をテーマにした作品は大きく分けて2つに分類される。
自分の死を知ってるかどうかである。
例えば、余命三ヶ月と宣告されるのと、三ヶ月後に突然死ぬの…どちらが幸せと言えるだろうか。答えなどない!
例えば「死神くん」や「イキガミ」。
いつ死ぬか宣告され生きている内にやりたい事をやるというもの。
その死に様は涙が溢れて感動する死にっぷりではある。
だが、ちょっと待って欲しい。本当に満足して死んでるのか?
僕はそんな奴はいないと思うわけですよ。
例えば終末系と呼ばれる作品。
「○○後に世界は滅びます」というやつ。
「終末の過ごし方」とか「そして明日の世界より」とかね。
あと人類が滅びるの○日だと知ったら何をするだろうか。狂う人もいるでしょう、日常を過ごす人もいるでしょう。ごきげんよう、さようなら。―――よい週末を!
「女の子が死ぬ話」の遥は前者で自分がいつ死ぬか知っている。
さて、残された人生をどう生きるか…というのが彼女のストーリーである。海が見たいと遥は言った。
天国じゃ、みんなが海の話をするんだぜ!
天国で誰もが話題にするのが…海だよ…
てやつだよね。
いや、遥が「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(AA)」を見たかどうか知らないけど。
「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」というのは僕が高校の頃に流行った映画で、余命幾らもない若者が海を見た事ない、天国じゃ海の話ばっかだからハブられるぞとなり、海を目指す物語。
天国ってところは、海の話題をするのである。
海に沈む夕日がどんなに素晴らしいか、どんなに雄大で見事か、真っ赤に燃える太陽が水平線に静かに沈む美しさとか、それを見ている時の気持ち、海を天国って所はずーっと語り合うのだ。海を見た事なきゃ話題に入れないで黙ってるしかないのです。仲間外れになってしまうのです。
「海に行きたい」
「(海に)入らない。見たいだけ」
「私、海、見た事ないから」
7月上旬、夕暮れの海岸で海を見た
生まれて初めて海を見た。
僕的にここがこの漫画のベストシーン一択。
「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」を知ってたら、天国でも話題についていけるよ、友達できるよという感じなんですけど、そんな事はどうでもいいぐらいに海に無意識に引き込まれる遥がグッとくるんだよね。
で、遥は無意識に海へ行こうとしちゃうわけ。
海へGO!探し物は何ですか?見つけにくいものですか?
一体何を探す気ですか
無意識に海へ向かうというね。
ただただ海に引き込まれただけなのか、それとも死後を見ちゃったのか夢の中へなのか。分かりません。
海って生物誕生の母なる海とか言われてますけど終わりでもあるんだよね。
地続きに海へ出れば、その先は何もないわけで。
その何も無い感じは、物語の終焉だったり死を意味するメタファーだったりしちゃうわけですよ。海ってのは終わりなのです。
前述した「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」も最期に海を見て壮絶に満足そうに死ぬし。
他に例を出せば「Air」とか「気狂いピエロ」とか「さらば青春の光」とか「HANA-BI」とか…上げればキリないんだけど。海で終わる&死んじゃう作品は沢山ありますね。
死んじゃう女の子である遥は生まれて初めて「死」や「終焉」のメタファーである海を見るのです。
「死」をテーマに描く物語なら最後に海を見て物語は幕を閉じ、そこで死を迎えるものである。それがお涙頂戴の王道。
だがしかーし!「女の子が死ぬ話」はここからさらにに続く。
これじゃ「女の子が死ぬ話」じゃなく「女の子が死んだ話」じゃん。
タイトルに偽り有りだよ。
でも残された男女のちょっとセンチメタルブルー時々甘模様な様子はなかなかどうして。
この甘さはなかなかどうして
うん、恥ずかしがる&赤面する女の子はストライクです。
でも、こういった甘さはオマケみたいなもの。
やっぱり、死んじゃった女の子がメインではある。
死を告げられた時に遥は「きれいに死のう」「5年後、10年後、今が思い出になった時、私の事を思い出した時。それがきれいな思い出になるように…」と心に決めていた。
そして10年後、きれいな思い出になっていた。
思い出の中の遥は可愛らしい憧れの少女でした。
「手のひらを太陽に」とはよく言ったものです。
僕らは生きているから笑うんだですよ。生きているから嬉しいんですよ。
良い、綺麗な思い出になりました。
6話で格別にいいのは「上を向いてる」ところですよね。
高校時代の屋上でシャボン玉を吹いた時、死を連想させる海でも思い出すのは花火を見上げるシーンっていうね。遥の死を乗り越えて上を向いてるっていう感じが非常によろしいかと。
上を向いて歩こう
上を向いて行くのである。
想い出に変わる君です。すごく良い話でした。
「きれいに死のう」「私の事を思い出した時、それがきれいな想い出になるように…」という遥の願いも叶ったのです。儚くも美しい想い出。いい話だったなー。
だがしかーし!
綺麗に6話で終わったのに7話があった。
嘘だろ。
綺麗に終わってるのに続くのかよ。
そしてこの7話が俺の心をズタズタにさせやがる。
時系列が戻って「きれいに死のう」と決め、やりたい事をやりきったはずの遥の独白。想い出にかわる君と化した遥がボロボロで死ぬ寸前のエピソードである。
明日があるさとはよく言ったものである。
明日がなきゃどうなるんだろうか。それでも少女は上を向いていた。
でも明日はなかった。
その遥が見た夢と、和哉とのやり取りがね…。読後に最悪にモヤモヤさせてくれる(褒めてます)。例えるなら「タッチ」で死ぬのがかっちゃんでなくたっちゃんだったら…例えばそんなメルヘンをストレートに投げてきやがった。
あと、読み終わった後にカバー取ってみてください。
(´;ω;`)ブワッ
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