志村貴子先生の「娘の家出」1巻が発売されました。
ビビった。
なにがってデブ率の高さに。
さらに、みんな可愛い子にすればいいのに、まあ普通というか微妙な子が多いったらありゃしない。でも、私の心の琴線を鷲掴みにしてしまうのである。
再婚した母。離婚して以来、「彼氏」と暮らす父。そんな家族に囲まれて生活する高校生のまゆこはいま思春期の真っ只中。まゆこの「家出」から始まった、さまざまな人生が交差する心に染むランナウェイ・ストーリー。
1巻裏表紙より。
もともと「娘の家出」というコミックのタイトルは、ガールズジャンプで掲載された読み切りのタイトルだったわけ。それがコミック1話に収録されている「時には母のいない子のように」である。
んで、めでたく続いたわけですけど、おそらく志村先生は当初は読み切り(コミック1話)だけで完結させていた物語だったはず(多分)。それの続きを違和感なく描くから凄い。
娘の家出
「娘の家出」は1話ごとに主人公が変わる群像劇である。
1話「時には母のいない子のように」&5話「わたしの青い鳥」はまゆこ、2話「狼なんか怖くない」は従妹のりえ、3話「夏のお嬢さん」は叔母ひめこ、4話「勝手にしやがれ」まゆこの母親、6話「青い果実」はまゆこの友人の視点で描かれるエピソードである。
少しずつ、人間関係&世界が広がっていく。
んで、私のお気に入りはモチのロンでまゆこ、まゆちゃんである。
他の主人公たちとは一線を画す。
というか、この子に僕の心の琴線は鷲掴みにされてしまいましたよ。
なにが素晴らしかったか、ズバリ「成長」に尽きる。
まあ、まゆちゃんを見ていこう。
両親は離婚しており、原因は父親がホモだったから。
で、母親と2人暮らしでたまに父親の所へ遊びに行くという関係。
そんなある日、母親が再婚するとなり…というもの。
まゆちゃん
可愛い。
まあ、まゆちゃんはクソ可愛いわけです。
恋する乙女のまゆちゃんはストライクである。
ただ、デブ専で父親(ホモ)の恋人(デブの男)、母親の再婚相手(デブのおっさん)を一目惚れしてしまう恋多き少女である。
そんな彼女も、同学年の彼氏が出来るんですけど、運命的な出会い(自称)からまっすぐ恋に一直線の姿は素晴らしいの一言ですね。そこへいたる過程っていうか成長が凄い良かったわけです。
「娘の家出」は染み入るような良さがあるわけです。
まあ、これは志村作品の真骨頂なんだけど、この行き場のない感じの閉鎖的な心情がこう「ウヴァヴァ」って感じになるわけ。共感するというか、見ちゃおれんというか。
で、まゆちゃんもそんな子で行き場のない閉鎖した心情を見せてたわけです。
そこは行き止まりですよん
『あたしは父が大好きでしたから。一度きちんと恨み言をぶつけてやりたいと思っていて、でもたたきのめしてやりたいとまでは思わなかったのです。
ただ困ったのは、母の彼氏も父の彼氏もどちらもあたしのタイプだということです。
そこだけは許せません』
思春期の恋する乙女からは斜めにぶっ飛んだ悩みである。
で、「娘の家出」の特徴といえば群像劇をやってて、主人公が各話で異なるんだけど共通点がある。それが「自己嫌悪」と「理想の自分」である。
例えば2話の「狼なんか怖くない」のりえは結婚を反対されたから駆け落ちするとか、暴走するワガママ娘なんだけど、冷静に自分を振り返り自己嫌悪する。3話はりえの母親ひめこは隣の家の「あたしは、えみりちゃんになりたかったな」と独白する。
「自己嫌悪」と「理想の自分」
「自己嫌悪」するし、「理想の自分」がいる。
これを見事に詳細に描くものだから、読んでるこっちも心をざわざわさせてしまう。
この2つは要するに「客観的に冷静に自分を見ることが出来る」という事である。
志村漫画キャラの真髄はここにある(と個人的に思う)。
んで、まゆちゃんも「自己嫌悪」するし「理想の自分」がいる。
自分がデブ好きだと分かってるし、父親&母親の恋人に惚れた自分を自己嫌悪する。
また、父親が名付けた「まゆこ」ではなく、母親が名づけたかった「めぐみ」という名前に理想の自分を見て憧れる。客観的に自分を見た上で、まゆこちゃんが最高なのは、それを乗り越えて成長したところである。
成長してるまゆちゃん
『運命は待つものじゃない。自分の手で切り開くこと。あたし、山で教わりました。たぶん』
素晴らしいね。
感動的ですらある。
「娘の家出」の主人公たちは、「自己嫌悪」「理想の自分」を持つのが特徴であり客観的に自分を見れるんだけど、まゆちゃんはそれを踏まえて乗り越えたというか成長しているのが胸熱なのである。
この人の作品は行き場のない閉鎖的な毎日を描くのが上手いんですけど、まゆちゃんはその殻を破ったのが描かれ、一発で僕の心の琴線を鷲掴みにしたのである。
素晴らしい!爽快感すらあった。
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