( ;∀;)カンドウシタ!
(注意、ネタバレ全開です。自己責任で)
手紙とは最もリアルリティに最も心に訴えかける手段である。
かのモンテスキューは『ペルシア人の手紙』の考察の中で自ら何故受けるのかという問いに人が作るどんな物語よりも「(手紙と言う手法が)いっそう強く心情を感じ取らせる」からだと述べた。
また、デイヴィッドロッジ著の『小説の技巧』では手紙こそが最もリアリティのあるものだと断言していた。いわく、小説の文章などただの模範である。
人が会話しようが、シーンの描写だろうが、人工的な再現に過ぎない。だが、手紙は違う。それが虚構でもリアルになる、と。「けれども虚構の手紙は本物の手紙と区別不可能である。そこが強みなのだ」だとか。
要するに、手紙というのはめたくそ僕らの心に響くしリアリティがあるのである。
それは、漫画も同じで、例えば『ワンピース』の頂上戦争後で綴られたルフィの過去邂逅編。サボがエースへ当てた手紙にめがっさ感動したのは現実味があり読者の心に訴えかけたからでしょう。
訓練された読者は作者がどういう意図でそう描いたのかと思うようなシーンや台詞も、手紙ならば、手紙の書き手の方へ目がいっちゃうからね。それがリアルの手紙の物語ならば、もう僕らはただただ納得するのみである。それが、例え虚構の手紙であろうと、それは現実の再現なのです。
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かくかくしかじか
東村アキコ先生の『かくかくしかじか』は手紙である。
かくかくしかじか
『かくかくしかじか』は東村先生が肺癌で亡くなった日高先生へ向けた手紙。
初期から「ねえ、先生」と切実に呼びかける。これは自伝でもあり、叙情詩でもあり、エッセイでもあるでしょう。
でも、個人的に胸に熱いものがこみ上げてきた理由は「手紙」という形式だったからに他ならない。間に挟まる物語のナレーションがどう見ても日高先生へ向けられた手紙だからこそ、私も心に響いてリアリティがあったのである。胸が熱いよー!
手紙というのは不思議なもので、第三者が読んでも面白い。
普通の自伝ではまず味わえない「語り」のリアリティが満載である。リアルタイムの実況なのである。『かくかくしかじか』はまさにそれで、読むたびに手紙のナレーションが現実感を高めてくれる。だからこそ泣ける。
何より、漫画でありながら「きちんとした手紙」である事が素晴らしい。
きちんとした手紙というのは、自分で自分の現状を説明して、ちゃんと読み手に向けられたものである。『かくかくしかじか』は日高先生へ宛てた手紙であるが、それは1人に限定しようが、日記とは違い読み手を想定してるから。故に、奥行きがあり複雑になる。第三者の僕らが読んでも響きまくる。
きちんとした手紙である
めちゃくちゃリアルタイムで心に響くよね。
1巻から綴られる日高先生を振り返る思い出から終盤の「後悔」の独白。これが感動して泣けるってもの。ぶっちゃければ、絵が無くても普通に泣ける物語である。しかし、やはり絵がある、漫画である事がそのグッとくる威力を引き立てる。
何よりも日高先生の生き様が凄い。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、裏を返せばいかに生きるかという事なのですが、日高先生には生き様があった。
日高先生
日高先生の生き様は後悔なんて無いんじゃいかという感じ。
手遅れの肺癌が見つかって余命4ヶ月と告げられても「オレ近々死ぬからよ!」で済ます。
「やっぱり先生は先生だった」とビックリ仰天である。もちろん、これは東村先生から見た日高先生の姿なので、本当のところは分からない。でも、『かくかくしかじか』で描かれる日高先生の生き様には胸に熱いものがこみ上げてくる。
逆に東村先生が後悔している。
ズバリ、『かくかくしかじか』という作品の核心は懺悔と後悔の独白である。
あの時ああしておけばよかったとか、かけがいのない人生が過ぎていく、貴重な時間が手からこぼれる、取り返しのつかない感覚に呑まれる。あの時は、どうしようもなかった。ああするしかなかった…という独白というか言い訳が綴られる。昔の失敗や、封印したトラウマなんて誰にでもあるでしょう。そこを呼び覚まされるようで鳥肌が立つ。
ごめん先生
東村アキコ先生、いや林明子は「ごめん先生」と繰り返し謝る。
あの時、「仮病を使って」「美大時代に絵を描かなくて」「電話を無視して」「若気の至りで鬱陶しく思って」「飲めない焼酎持って泊りに来たのに相手にしないで」「漫画家になりたいと言わなくて」「絵画でなく漫画に行って」「逃げるように大阪へ行って」「教室を継がないで」「先生を助けなくて」「見捨てたも同然で」「自分のことしか考えてなくて」…「先生、ごめん」と。
じゃあ、これは謝罪の物語なのかと言えば。
まあそうなんだけど、本質は断じて違う。ラストは、今までを邂逅して林明子という人間がいかに大バカで大間抜けであるかが語られる。
あの頃の私は本当にバカで
うぬぼれ屋で
生意気で
自分勝手で
わがままで
欲深くて
薄情で
ずるくて
嘘つきで
なにもそこまで卑下しなくても…。
この流れならば、次に来る言葉は一つでしょう。
ここまで後悔の言葉が述べられ「だから」と続いたからね。
散々『かくかくしかじか』の作品内で繰り返し述べられてた「先生、ごめん」になると思うじゃないですか。ところがどっこい!全然違うんですよ。
だから先生のことが大好きだったんだよ
だから先生のことが大好きだったんだよ
ファッ!?
明らかに日本語としておかしい。
だがしかーし!猛烈に胸に突き刺さる。
ここでオレは泣いたね。号泣した。いわく、自分とは違うから、日高先生のようになれないから…だとか。泣けましたねー。日高先生を尊敬してる、大好きってのは初期から語られてるんですけど、最後の最期まで言えない言葉があるよ。ズバリ、感謝である。
いや、読み返せば初期から作品内で言おうとしてるんですよね。
でも一回も言えてない。本当に言いたい言葉は一つであろう。「大丈夫」と「描け」という日高先生の言葉が今の東村アキコ先生の支えというか根源になっているらしい。だからこそ…。
例えば数年前に流行った『死ぬ時に後悔すること25』で最も反響があったのは「愛する人に『ありがとう』と伝えなかったこと」である。これは残される方も同様であろう。
最も言えずに後悔する言葉が「ありがとう」である。
スキマの大橋卓弥さんが両親に捧げた「ありがとう」。面と向かって言うのが恥ずかしくて歌にしたとか。Asahiがやってたアンケートで家族に「ありがとう」を伝えれない理由も「感謝の気持ちを伝えるのが気恥ずかしいから」である。
最も言わなきゃ後悔する言葉が大切な人への「ありがとう」である。
最も言うのが恥ずかしい言葉は大切な人への「ありがとう」である。
ラスト
林明子は、漫画を描いてる時に頭の中で日高先生の「描け」という声が聞こえるらしい。
だから今日も描く。これからも描き続けると言う。その声が聞こえるから、自分の声も聞こえているか問いかける。
「ねえ、先生」「私の先生」と1巻のラストと同じ、切実な呼びかけで締められる。
そして左ページの白紙部分。見えますよね。「ありがとうございました」の文字が。僕には見えたね。
本当に伝えたかったことは「先生、ごめん」ではなく「先生、ありがとう」であろう。『かくかくしかじか』は、林明子が日高健三へ向けた手紙である。それも感謝の手紙である。かくかくしかじか、こういう理由で「ありがとうございました」。
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