自分の未来にドキドキしていた
『ナナとカオル』の甘詰留太先生の描く半自伝漫画。舞台は1994年である。
あの頃ナニやってたかといえば、僕は小学生だったので「懐かしい」という気分はそれほど味わえない。甘詰先生と同世代ならば「懐かしい」と手を叩いた事でしょう。とはいえ、世代は違うんですけど、物凄く共感出来るのである。
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<まずは1話を読むべし>
・『いちきゅーきゅーぺけ』ニコニコ静画(ちとえっちぃ注意、読む時は1人で)
これもオタク青春!
主人公・純平が大学のサークルに入ってエロ漫画を描く…という物語。
例えるなら20年前の『げんしけん』みたいな。笹原よりだいぶキモイが。
プラス『アオイノホノオ』のエロ漫画バージョンってところでしょうか。実際に成年誌で活躍してた甘詰先生の若き日の物語である。登場する人物はだいぶ変えてるらしいが、自伝的な要素満載だとか。
そこでの日常というか、風景などが凄く思わず頷いてしまう。今まで、数々の漫画家マンガや自伝漫画を読んできましたが、最も共感できるのは『いちきゅーきゅーぺけ』である。例えば初めて上京してまんがの森で感動するところ。
来てみろりん♪
今や亡きまんがの森である。
僕が子供の頃はまんがの森はある種の聖地であった。はじめて、まんがの森に行った時の感動は饒舌にし難い。そういう禍々しい共感が満載です。私と純平は、世代や範囲は大分異なるんですが、「分かるわ」「うんうん」「握手したい」となること多数です。
何がこんなに共感を生むかといえば、純平というキャラクターそのものである。なんつーか、こいつ俺じゃねって思ってしまうのだ。
昔は今ほどオタクは市民権が得られておらず。実際に、オタクでる事をカミングアウトする事は実生活の死を意味しており、その嗜好は内へ内へと燃やしてたのですけど、純平はまさにソレ。
純平は爽やかさのカケラも微塵にない。
まったくもって「キモイ」の一言である。
そのキモさこそ僕は共感する。等身大のオタクというか。
ぼっちの感情といか。その辺りが、同じような境遇だった人の心に響くというか、勇気を貰うというか、過去のトラウマを抉ってくる。
この主人公・純平にはシンパシーのようなものを感じてしまうのだ。
悲しい程に。まことに遺憾ながら。
そして、その妄想力がスゴイ。
純平
純平はクラスの気になる女の子に彼氏がいると分かれば、その女の子をノートであられもない姿にして色々とぶちまける。こんなの誰もがやるだろう。
私は絵を描いた事がほとんどないけど、頭の中は純平と一緒である。やはり、視姦して頭の中で色々とこう…ね。そういう妄想を純平はノートへ叩きつける。これが後にエロ漫画を描くようになるのだろう。
これが大事だよね。
結局、成年漫画のキモって妄想力ですから(と語れる程成年漫画読んでるわけじゃねーけど)。使うだけならそれこそAVや動画(二次元にしろ三次元にしろ)で済むわけで。
エロゲもそうだけど、なぜ使うかといえば、そこに想像力が働くからである。読者の淫心をこれでもかと刺激するから。妄想を逞しくさせてくれる。
後に甘詰留太先生になるであろう純平は頭の中の妄想をエロ漫画にすることで表現する。さらけ出すのである。「ざまみろ」の感情はシンクロしまくる。もちろん、半自伝漫画なので、実際のリアルじゃない。つまり夢がある。絶対に現実じゃいねーよというヒロインが登場する。
上、桜町・クリス・真綾 / 下、善光寺たくま
この2人のヒロインが素晴らしい。実に素晴らしい。
2人ともめちゃくちゃ良いキャラである。エロ漫画が大好きだったり。風邪を引いた時にお見舞いに来てくれるなど。もはや妄想の類でリアルではない。まあ、実際に甘詰先生の学生時代にあった出来事の可能性もあるが。
甘詰作品のヒロインは可愛い(性的な意味で)。これは一般誌にフィールドを移しても同じで『ナナとカオル』のヒロインもそう。めたくそ官能的である。真綾先輩のようなグラマーでもたくまのようなロリキャラでも同じフェチシズムをこれでもかと感じる。ズバリ、「唇」と「鎖骨」と「肋骨」である。
おそらく、甘詰先生は女性の「唇」と「鎖骨」と「肋骨」が大好きなのであろう(決めつけ)。そのパーツへの拘りは業の深さすら感じるぜ。
そして、そのパーツの魅力をサラッと描き続ける。また、ストーリーもテンポ良く進むし、何気に一歩ずつ成長する純平はキモイ中で爽やかさ全開。エロ漫画を描くぞーと目標に向かって進む姿や仲間と打ち解ける姿はなかなかどうしてよ。間に挟まるインタビューも読み応えあり。なにより90年代がリフレインする。面白かったです。まる。
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