『ゴールデンゴールド』(堀尾省太)5巻読了。
めちゃくちゃ面白れぇ!そして続き気になる!個人的にいま一番先が読みたい作品です。
琉花と黒蓮によるフクノカミに対する実験もむなしく、寧島は大きく変貌を遂げていく。「フク」が見えるが、底なしに運の悪い相場師の男も早坂家に急接近、フクノカミも「天敵」を前に怒りが爆発!?
『ゴールデンゴールド』
フクノカミのおかげ繁盛する島の様子。その裏でサスペンス調のように展開していく謎と伏線。独特の世界観。見所満載で最も続きが気になる作品の一つですが5巻ではいよいよ核心に触れてきたって感じです。
1話冒頭の惨劇
1話
「奴だけがおらん…どこだ?」と誰かを探し回っていた侍。
島の人々は顔がフクノカミになってみんな死んでいました。
一見すると侍が皆殺しにしたようにも見えたが、まったく違う真相でした。ここまで作中でフクノカミのおかげで金持ちになり、顔もフクノカミになったのは琉花の祖母・町子がいましたけどフクノカミ化した人物が。
フクノカミ自身は、自分のやり方に反対したり邪魔する勢力を排除する傾向がありました。14話では梶刈を消し、27話では刑事を懐柔していました。フクノカミ化した住民同士で殺し合いをしていたようです。また、1話の侍が探してたのはクフノカミで間違いなさそう。
江戸時代の惨劇は、フクノカミ化した住人同士の殺し合いによるもの。これから現代でもこのような殺し合いが起こるかもしれない印象なり。
フクノカミは惨劇を起こす?
36話
36話では、琉花にそっくりな少女が福神様(フクノカミ)を縄でくくりつけて海へ身を投げていました。江戸時代に起きた寧島の惨劇の解決策といったところでしょうか。おそらく現代の琉花と同じような立場だったと思われます。
・今日は全然逃げんのですね。逃げてもしょうがないのがわかるんですか。
・福神様も阿呆じゃ。末長う島におってもらえる道もあった筈じゃのに
少女が海へダイブする寸前の台詞が色々と引っかかる。「今日は全然逃げんのですね」ということは、身を投げる日まではフクノカミはこの少女から逃げ回っていたのでしょう。まさに今の琉花とフクノカミの立場と一緒じゃん!
少女の「逃げてもしょうがい」って言い方から、フクノカミもなんか諦めの境地に達してたことが伺えます。島にずっといられる道もあったはずなのにと。ここで気になるのは惨劇はフクノカミが望んで勃発したのかどうか。
今まで、フクノカミ自身の手で人の欲望に付け込んで惨劇を起こしていたと思っていましたが、5巻を読んで印象がガラリと変わりました。まるで仕方なく本人の意図せぬ形で起きてしまったようですらある。
以前は失敗した?
琉花が江戸時代の夢を見て、フクノカミと無理心中は「最後の手段として有効だったりすのかな…」ってモノローグのフクノカミの後ろ姿がどことなく悲しげで寂しそうだったのが印象的でした。
また、謎の3体分裂で町子に話してる(?)言葉は、過去の失敗を踏まえて新たな試み(分裂を指してる?)をするってニュアンスでした。
以前の経験を踏まえ
過去のご経験を元に…?今の時代を生き抜くには多様性が鍵であると…。成程、成程…
はっきりとした真意は不明なものの、過去の経験を元にした行動のようです。ちなみに、分裂する直前では寧島には火種がくすぶりはじめたというか暴発に向けてのカウントダウンが開始されていました。
寿司屋の隣にステーキ屋が出来て亭主同士がこれから対立しそうだったり、タケノコに関する火種、LINEでもめ事になりそうな愚痴…。フクノカミのお陰で儲かるようになった故に、寧島の人々がキナ臭くなっています。
かつての惨劇の再来を予感させましたけど、このタイミングで過去の経験を元に多様性云々と3体になったフクノカミは意味深だ。これから起こりそうな対立を防ごうとしているようにしか見えない。フクノカミが意図しない形で惨劇が起きてしまったということでしょうか。
実はフクノカミはけっこういい奴なのかと思ったり思わなかったり。
手の形が違うのは何故?
腕の位置が気になる
フクノカミが動いていたのは江戸時代と現在だけのはず。昔は少女が腹に括り付ける形で海へ心中しました。それから琉花が拾うまでフクノカミが蘇っていないでしょう。気になるのは海へ沈んで行った時と腕の形が変わっていることかな。
少女と海へ沈んで行った時の腕の形はブラ-っと下げてる形でした。紐でくくられていたので動かしようが無いと思われ。なのに琉花が見つけたフクノカミのミイラは腕を左右で組んでいるのですよね。動かせるとしたら少女の死体が腐るなどして紐が緩んだ時だろうか?
いやしかし、このフクノカミは最初にお願いした者が忘れる(他の信仰が強い場所、もしくは遠くへ去る?)と動けなくなって干からびてしまう描写がありました。
26話
拝んで信仰されるに従ってテカテカになって元気にパワーアップしていたフクノカミ。しかし、琉花が人が多い神社を参拝してフクノカミを忘れていた時に干からびそうになって動けなくなっていました。
どんなに寧島の人々から拝まれようとも、琉花ひとりが居ないと動けなくなってしまう様子でした。元気玉のように他の人々の信仰で力が出ようとも、琉花がいなければ死んでしまうのである。この辺は20話等でも触れられています。
20話
琉花がフクノカミにお願いした「どうかここに、でっかいアニメイトが建ちますように」を愚直に実行してるフクノカミ。ただし、最初にお願いした琉花がいなければ存在意義を無くすのではないかと作中でも語られております。
フクノカミは琉花がいなきゃ存在できない。
アンパンマンの顔が濡れてシオシオ~って感じでしたからね。
ここで気になるのは江戸時代の水中ダイブでしょう。かの少女が最初にお願いした琉花と同じポジションだったとしたら、彼女が死亡したらフクノカミだって動けなくなるような。死体が腐って紐が緩む頃にはフクノカミだって動けない気もする。なんで手の位置を変えられたし…?
また、フクノカミが両手を交差してるのは断頭台に立たされた心境故なのか、謝罪的な意味合いなのか、心中した少女と同じ心理…つまり抱きしめたのかも気になる。
フクノカミを抱きしめた少女
フクノカミが手を変えるぐらい動けたかは定かではありませんが、少女が抱きしめたのとデジャブる気がしないでもない。
・フクノカミが海へ沈んだ時と発見された手の位置の違い
・紐で括り付けられてて動かせそうにない
・少女が飼い主だったら死亡すれば力が抜けて動けなくなってしまう?
・なんの意味がある交差させる腕だったのか
あんまり意味ないかもしれんけど、ちょっと引っ掛かりました。あと「祟るならわしだけ祟ってください」という台詞で、現在は琉花のために動いてるあたり、琉花は少女の輪廻転生的な生まれ変わり系?見た目はそっくりに見えるだけに気になるのう。
江戸時代のフクノカミはどう見えてた?
客人は?
江戸時代の惨劇。重要人物っぽい侍は(おそらく)フクノカミを指して「客人は?」と述べてます。同時に、ほかの人の顔がフクノカミになってるのに驚いている描写があるので、この侍はフクノカミを普通の人間としてでなくきちんとキモイ奴という視覚認識があったのでしょう。
刺された人物など寧島の人々はフクノカミが普通の人間に見えていたようです。フクノカミを普通の人間として見れるのは寧島の人々のみ。島の外から来た者はそのまんまキモイ人形のように見えています。
寧島で生まれ育った生粋の島民だけが違和感無くフクノカミを人間と認識してしまう。現代でも島外の人は変な仏像に見えてます。琉花は父親が生粋の島民で母親が部外者。生まれも育ちも島外だときちんと仏像として視認できるのでいいのか。
ここで江戸時代描写の先代飼い主っぽい少女。彼女はフクノカミを「福神様」と言って、「客人」としてでなく気持ち悪い仏像ときちんと認識してるっぽいんですよね。
ちゃんと見えてるっぽい
「親兄弟失うて」という言い回しから、彼女は生粋の島民のようではある。しかし、フクノカミを人間として視認することなく「福神様」と呼んでいる。琉花とは事情が異なってそうなのにである。
島外の人間も違和感無くなってる
違和感消えとる!?
「寧強会」結成当初は、島外出身の2人はフクノカミを「ありゃなんや?」「アレ何?」と明らかにキモイ仏像のように見えていましが、最近の会合では、まだちょっと他の者と微妙に反応が違ってるものの、完全に受け入れつつある描写があります。
生粋の寧島住民だけがフクノカミを人間と認識するわけではない。う~む。13話で黒蓮ハネルが推論した通りで、最初はフクノカミが人として見えてなかったのに見え方の違和感が消えていったの証左でもある。
フクノカミは島外出身者以外もいつの間にか人間に見えてしまう。普通に受け入れられるようになる。間違いない。にも拘わらず、江戸時代では「心中した少女」と「謎の侍」の2人だけは最後までフクノカミを人間として認識して無さそうな謎。何故なのか?
これは現代にも繋がりそうなポイントなのかな。琉花と黒蓮の2人は一番長くフクノカミと接してるのに、キモイ仏像認識は変わらず。黒蓮先生は島外出身の「寧強会」の人のようになる可能性はまだあるけど。
まだまだ明かされないことも多いけど、絶妙な伏線の貼り方と回収の仕方をしてます。5巻で既に超名作になる匂いしかしない。今最も続きが気になる作品の一つ。超面白いです!まる。
コメント
めちゃくちゃ面白いですよね
ラブがコメりそうなのもポイント高い