『レイリ』(原作:岩明均、作画:室井大資)6巻読了。
これが最終巻です。
天正10年(1582年)織田信長はついに甲斐・武田征討を開始した! 黄昏の帝国に襲いかかる、圧倒的な覇王軍の攻勢に“武田の希望”信勝とレイリは、当主・勝頼を助けて最後の抵抗を試みる。その逆転の奇策とは!? 巨匠×鬼才が描く超本格時代コミック、完結巻!
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『レイリ』6巻
何度も何度も噛みしめるように読んだね。
間違いなく名作だったと思う。
歴史漫画として
―が、異説もいくつかあり真相は謎のままである
過去は既に確定しているので、あらゆる歴史作品はストーリーが決まっています。しかし、歴史漫画の醍醐味は史実をそのまんま描くことでなく、事件を「どうしてそうなった」は作者が自由に解釈して描いてよいし、それがキモで面白いところでしょう。
『レイリ』はその部分が最高オブ最高でしたね。
全6巻と短いながらも濃厚なエンタメ歴史漫画でしたわ。
武田家が織田信長に滅ぼされるのは変えようがないが、そこに至るまでの展開やその後の本能寺の変では「そうきたか!」って膝を打つ。黒幕の存在や処理の仕方も無理なく「どうしてそうなった」が説得力あって盛り上がりまくり。史実とオリジナルが上手く合わさっていた。
あくまで史実がラインですが『レイリ』ならではのフィクションが随所にあり、かつ無理なく本当の歴史はこうだったかもしれないって思うぐらい綺麗なストーリーでした。名門武田の戦さだわ。
「まさか…」だった
土屋昌恒
1話冒頭でどう見ても甲州征伐っぽい武田家滅亡のシーンが描かれました。だから主人公のレイリは、影武者してた武田信勝として参戦して「何のために生きてるのかって?殺して殺して殺しまくって!」「そして最後に殺されるためだよ!」を結実すると思ってましたもん。
しかし!そうならずに「まさか…」のシナリオ回しに舌を巻きます。
また同時に、土屋昌恒とのお別れからラストファイトがとても素晴らしかった。たった数ページなのに震えたわ。無情に、それでいながら優しく。簡易に、それでいながら克明に。力強く、それでいながら儚く…描かれているのです。
岩明均作品で自分が好きなのは「淡々とした描写の連続の中にある熱量」なんですよね。静かに淡々と描かれてるのに「うおおおお!」ってなる。冷たいのに熱い。なに言ってんだって感じでうまく説明できんが、その良さ味が存分にありました。それでいながら別種の力強さがあった。
岩明均&室井大資コンビの真骨頂は土屋昌恒のラストファイトに有り!
殺されたがり娘のレイリの「そして最後に殺されるためだよ!」って言葉は別の意味で昇華された。土屋昌恒の「運命がある」「それを今全うせねばならぬのだ!」でより重く…。
レイリの立ち位置
わしはやはり土屋惣三の子!武士なのじゃ!
レイリはもちろん漫画オリジナルキャラですがモデルがいると1巻の後書きで岩明均先生が語られています。最初は主人公候補ではなかったことも。
実はこの物語の主人公、初めは別の人物だった。一般にはほとんど知られていないが歴史上に実在した、ある「男」。そいつは、とある戦いで「負けた側」にいたくせに、その後けっこう出世したヤツだ。ちょっと魅力を感じて主人公にしてあげようと、その男について資料を調べてゆくと、同じく「負けた側」にいたくせにさらに、それ以上に出世した「男」を発見。あれ?主人公にするならむしろこっち?う~ん…いや、どうにもこいつらは違うな…なんか違う。そうだ、あっちに立ってる「彼女」だよ!彼女に主人公をお願いしよう。
全6巻読むと、最初に主人公に据えようとしてたのは岡部丹波守(元信)だと分かる。次に主人公に据えようとしたのが土屋惣三の子・平三郎(土屋昌恒)だと分かる。そしてモデルとなったのが、岡部丹波守の娘で、土屋惣三の妻で、平三郎(土屋昌恒)の母だったと。
(wikiで調べた)史実と違い『レイリ』では、岡部の実娘の存在は描かれてないし、土屋惣三の妻…平三郎の母は作中では死んだことになってました(岡部の娘でもなさそう)。その辺はモデル含めて繋いだレイリ。
岡部の娘で土屋の妻でもあったな
岡部丹波守の娘が土屋惣三の妻となって平三郎(土屋昌恒)を生んだって実在した人物の「代わり」としてのレイリだけど、確かに血は繋がってなくても岡部の娘だったし、実際に結婚してなくても土屋惣三の妻だったし、平三郎の母だったんだなぁと。
1巻後書きで歴史上に実在した人物に「後世のご無礼、どうかお許しを」とあったが、『レイリ』を読めば岡部の実娘で惣三の妻だったレイリのモデルも納得の出来だったのではないでしょうか。
モチのロンで、「娘」「妻」「母」って女性的な側面だけでなく、めちゃくそ漢らしい「武士」っぷりものレイリの良さやったね。
レイリとは零里
零里
しっかりね!平三郎!土屋惣三の子!
もう、きみの一里以内の場所にわたしはいないよ!
レイリは実の家族が野武士に殺されたことから、はやく自分も殺されたいと呪いのような「死にたがり」になっていました。そんで作中で成長して考え方を変えました。
岡部丹波守の娘として「自分以外の誰かを死なせまい…と盾となり刃に身をさらした」姿に自分は間違ってたと気づき「死にたがりは止めました」(27話)。土屋惣三の妻として「あなたに感謝を…生きるよろこびをくだされた…あなたに…」(32話)。
死にたがりの女の子は、岡部丹波守&土屋惣三のおかげで、考え方を変えて生きるって楽しいとまで思うようになった。『レイリ』を総括すれば、この世に絶望して死にたがった子が死ぬことを考えな直し生きる喜びを得た物語だったといえる。
それゆえに、平三郎を未来へ見送る姿は説得力もあるしグッとくるものがあったね。零里…一里以内にはいないぞと。死ぬことに捕らわれた零里、武田信勝の近くの零里、平三郎の近くの零里…を超えた末の一歩だった。
零里…一里…二里…三里…
レイリは実の両親がつけた名で、漢字の「零里」は信勝が付けた名前だった。
ゼロから進むレイリの物語だったんだなぁ…と踏み出した一歩に胸が熱くなったよね。プラスして伏線の広いっぷりも見事。死にたがりで呪われてた「零」のレイリが「一」より先へ行くだけでなくね…。
最終回タイトル「富士」
6話「影」
最終回でレイリが一歩目を踏み出した場所は以前も通った道でした。「前はこっち行ったから」と思い出し別の道を行く。これは6話で、岡部丹波守に見捨てられ土屋惣三に拾われた(と思ってた)レイリが武田家へ向かった道中。
まだ「死にたがり」だったレイリは途中で何かに目を奪われてました。その視線の先に何があるかは6話では描かれず。無表情でボケーっと足止めて見てました。
で、最終回。
サブタイトルは「富士」。
そっか…あの時は富士山に目を奪われたのか。同じものを見てるレイリの表情がまるで違うのもええんだよなぁ。武田家に仕えてからの紆余曲折があった末にたどり着けた富士山見た表情というか…。
6話 / 最終話
ボケーと無表情に足止めて見てた先…。
あれは富士山だった。
その感想を余裕をもって「ま…綺麗ではあるよね」と述べるレイリ。胸が熱くなるな。作中で初めてきちんと描かれた富士山。レイリが富士山を眺めて綺麗と言うための物語だったかもしれんな。武田滅んでも甲府から見える富士は永遠に不滅なり。
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し!さらば「風林火山」!さらば武田家!
実の家族が命を投げうって「行け!」と言ってくれてから本当の意味で進めず行けなかったレイリ。零里から踏み出す一歩へ…。良い漫画だったなー。まる。
コメント
読後感最高でしたね
ヒストリエもどうか・・・どうか最後まで頑張ってくれ・・・
冷たいのに熱い、何言ってんのかわかんないけどそんな感じってすごいわかる
ガッツリ重いもん食ったのに清涼感漂う最終巻だった
まず完結したことに感動
読了感の良い漫画でした
個人的には信勝が生き残って、岡部姓を名乗って大名になるか、信勝が実は家康に天下をとらせた南光坊天海だったという展開にして、「信勝は信長と同等の天才」という設定を活かすと思ってたんですけどねぇ
それにしても意外だったのは岩明先生の家康像の変化。30年前の『雪の峠』の家康とは全然違うんですね。ヤマカムさんはそれを指摘すると思ってました
主人公にしようとしていた人物は土屋惣三や武田信勝辺りかと思っていましたが、
まさかその子供だったとは!
そして名前も残っていないその母親をモデルに作品を作り上げるのは本当に天才的ですね。
しっかり穴山梅雪と言うラスボスまで作ってますし。
最初に主人公にしようとしていた人物は、高天神の戦いに登場した横田甚五郎でしょう。
武田滅亡後は徳川家康に仕え、大坂冬の陣でも家康と絡むエピソードのあるお方です。
大名にはなれませんでしたが旗本最高位にまでなり、「けっこう出世」に当てはまる。
何より当人がいるにもかかわらず、武田家の利益を優先した「高天神城は捨てるべし」の書状が地元では有名なお話なので。
その資料の中で、同じ高天神の戦いから忠義の岡部、その身内である片手千人切りの土屋、「それ以上に出世」し大名にまで至った息子・忠直へと繋がっていったのではないかと……。